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グレン・グールドがいた街で



 その頃の帰り道はいつも、一つ手前の駅で降りて、公園の池を巡り、学園の並木道を通ってきた。鞄に、ウォークマンと、ゴールドベルク変奏曲のカセットテープを入れていた。6月の夜は、湿気をたっぷり含んだ空気に、木々の緑の気配がした。グールドの音楽は、闇の中をらせん状に展開していく。
 日本の片隅の、こじんまりとした安定にたどり着いていた。それはそれで、心地よいものだ。ゴールドベルク変奏曲の、スピードを上げて上昇していく感覚も、日本を離れる予感とは思わなかった。

 想像だにしなかった風景の変化が、人生はらせん状に展開するものだ、ということを証明する。
 マイナス20度の空気の中、凍り付いた路面の上、注意深く車を走らせていく。Don Valley Parkway に入るころ、朝日が左側から射し始め、冬景色がいっせいに、灰色から白に輝きだす。車は、カセットのゴールドベルク変奏曲にのって、ハイウェイのゆるやかなカーブを曲がっていく。
 オンタリオ湖の手前、最後の大きなカーブを曲がりきると、真っ正面にCNタワー、スカイドーム、そしてトロント・ダウンタウンの高層ビル群が現れる。

 バッハの演奏で世界的に有名になったカナダのピアニスト、グレン・グールドは、1932年、トロントの東のオンタリオ湖岸の住宅街で生まれた。11歳で地元のキワニス・コンクールに入賞したのをきっかけにCBC(カナダ放送協会)ラジオに出演、カナダ各地でリサイタル。22歳、ニューヨーク・デビューの翌日、CBSが専属録音契約。翌年、バッハ「ゴールドベルク変奏曲」発売。
 31歳でコンサート活動を停止。以降は、録音によりバッハ、ハイドン等の演奏を発表し続けた。

 トロントの冬の夕方は5時には真っ暗になる。一人残った事務所から見ると、トロント・アイランドに囲まれたベイがスケートリンクのように凍結している。その手前のGardiner Express Way は夕方の渋滞で、車の赤いストップランプが並んでいる。が、音はここまでは、まったく聞こえない。
 あるのは、書庫の中でファックスマシンが受信紙をはき出すかすかな音のみ。 静寂は、窓の向こうの、マイナス15度の外気から北方に広がる雪の広野に広がっていく。一千万平方キロメートル分の、カナダの孤独。

 グールドは生涯、セントクレア・ストリートのアパートに住み、昼間は一歩も外に出ることがなく、夜半過ぎ、近くの深夜営業レストランで一人、食事をする生活を送っていた。
 セントクレアは古いが取り立てて特徴もなく、かと言ってさびれている風でもない、言わば、身を潜めるのに程好い通りである。そこには確かに、今にも雪の降り出しそうな午後、厚手のオーバーのポケットに手をつっこんで歩くのが、似合っていそうである。




 日本人駐在員らしく週末ごとのゴルフ会に出る訳でもなく、ランチタイムに「竹寿司」にいることも滅多になく、たぶん、あいつはいったい、本当にここにいるのか、と思われていたであろう。
 だがその後、インターネットでカナダのホームページなるものを作っているらしい、と気が付いた人は、確かにトロントにいて何かを発信しつづけている、と分かってくれたはずだ。

 グールドのお気に入りであった、トロントの郊外のノースヨークにあるホテル、Inn on the Park 。広々とした敷地に、中庭をとりまくようにガランとした建物が建っている。  トロントに来てから何度も、このホテルのカフェに日曜のランチに行った。明るくて気持ちの良いカフェだった。
 グールドはこの人の気配の少ないホテルの一室をスタジオに使っていた。深夜、起きだしては録音し、未明にルームサービスを取っていたそうだ。必要以外に人とは会わず、姿も見せない。誰も、彼がどこにいるのか知らない。でも、彼の仕事はちゃんと存在するし、電話でコンタクトすることもできた。
 このホテルの長い廊下を歩くと、グールドが問いかけてくる。人と人との連帯は、何によって可能なのだろう。




 出張で行く町。モントリオール、オタワ、ウィニペグ、フレデリクトン、セントジョーンズ、、、。
 双発のプロペラ機で飛行場に降り立って、タクシーで雪に埋もれた町の中に向かい、ミーティングの時間までコーヒースタンドで体を暖めながら、資料を広げる。無機質なものをいかに説明するのか、、、。
 仕事が終わると空港に取って返し、ロビーでじっと待つ。この時間が長い。
帰りのフライトたいてい、夕暮れの中を飛ぶ。見えるのは、地平線までなに一つない雪原。凍てついた湖。

 グールドのピアノは、カナダの冬の響きがする。
それは例えば、雪におおわれた丘の上で、一列の木々が細い梢を天に向けて夕陽に照らされている風景かもしれないし、見渡すかぎりの雪原の中を黒々とまっすぐに地平線まで延びるハイウェイかもしれない。雪をかぶった大森林を吹き渡る風の音の、さらにそのかなたから聞えてくる音楽かもしれない。
 聴衆はいない。一人であること、孤立し、迎合を拒み続けること。そういう人間、カナダの冬が好きな人間の為の音楽を、グールドは作り上げた。

 「ロイ・トムソン・ホールのロビーにグールドのピアノが置いてあるよ。」 トロントに来てすぐ、人からそう言われて、さっそく言ってみた。
 ホールはトロントの中心部にある、円形のガラス張りの建築。夜になるとトロント交響楽団のコンサートで賑わうロビーも、昼間は人影がない。数段高くなったところに、ピアノが無造作に置いてあった。
 古びたヤマハ・ピアノ。グールドがゴールドベルク変奏曲の最後の録音に使ったピアノだ。トロントに住むとは夢にも思わなかったころから、毎日、毎日、聴きつづけたのは、まさにこのピアノの音だった。


 1980年、グールドは、この中古ピアノをニューヨークで買い求め、翌年、再びゴールドベルク変奏曲を録音する。デビュー盤を録音したのは23歳の時、その自分自身への挑戦であった。

 音楽は、失速ぎりぎりの速度のアリアで始まって、変奏が幾何学的な正確さで加速し、らせん状に上昇していく。それは、電車にのって次々と後ろに去っていく風景を見ているようでもあり、加速の感覚は、日々を前向きに進んでいこうとする心のエネルギーにも似ている。

 そして、変奏は、アリアの最初の3小節に帰ってくる。すべての変化を巡った後での、安定。  グールドがトロント総合病院で死去したのは1982年10月、ゴールドベルク変奏曲の新録音盤が発売される一週間前であった。

 墓地なんて、よほど用事がなければ、行くところじゃあ、ない。 一度はグールドのお墓に行って見るか、とようやく思い立ったのが、トロントに来てちょうど5年経った夏のすっきり晴れた日。昼休み、地下鉄のデイビスビル駅から歩いていった。
 迷ったあげく、割と質素な彼の墓標を、比較的新しい区画に見つけた。墓標の前に、グランドピアノをかたどった小さな石版があって、ゴールドベルク変奏曲のアリアの最初の3小節が刻まれている。

 音楽が時間の凝縮とすれば、その音楽と共に過ごした時も、音楽の中に凝縮されている。らせん状に上昇し、変化しているのは、風景ではなく、ひょっとしたら自分自身なのかもしれない。
「可能性は、人、一人ひとりの心の中に、カナダの冬の大地のように無限に広がっている。変化することは、その可能性を追求していくことさ。この音楽は、その為に孤独というリスクを負っていく人への、連帯のメッセージだよ。」
 ゴールドベルク変奏曲。51分間の演奏に凝縮されたグールドのメッセージを受け取る為に、トロントの5年間を過ごしていたような気がする。


(注)写真説明(上から)
  グールドの墓標の前の地面に埋め込まれた石版
  セントクレアにある、グールドが住んでいたアパート
  Inn on the Park のロビー
  ロイ・トムソンホールに置かれたグールドのピアノ

 グールドとゴールドベルク変奏曲については、藤田伊織さんの「知の音楽、ゴールドベルク変奏曲」のページを、また、グレングールドに関する一般的な情報は、グレングールド協会のページをご参照ください。

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