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「セントローレンス河を車で下る」



 1994年の夏,トロントからこんな旅行を思い立ちました。
「セントローレンス河沿いに走って,大西洋にたどり着きたい。」
6月から,地図を見つつルートの検討を始め,7月の最後の週から8月の最初の 週にかけて実行することに決めました。
 大まかなコースは,TorontoからMontreal, Quebecを経て,セントローレンス河南岸の Gaspe半島を河沿いに東進,半島の突先のPerceという所にたどり着いた後,そのまま 半島の南側に回り込み,New Brunswick州に渡って,Monctonを経由してPrince Edward Island(P.E.I.)に渡る。再びNew Brunswickを横断して,セントローレンス河に戻り, Quebec を経由してTorontoに戻る。コースの全長を計算するとちょうど,5000キロ。
 途中,Perseに二泊,P.E.I.に三泊することにしたんで,完走するのに11日がかりです。が、道路の主要な部分は,Trans Canada Highway だからアコードでも大丈夫だし, 街が点々とあるんでガソリンの心配もないだろう。田舎町にもモーテル位はあるでしょうしね。

・・・・・目次・・・・・

第一日・・・Toronto - Montreal
第二日・・・Montreal - Matane
第三日・・・Matane - Perce
第四日・・・Perce
第五日・・・Perce - Moncton
第六日・・・Moncton - Charlotte Town
第七日・・・Charlotte Town - Cavendish
第八日・・・Cavendish
第九日・・・Cavendish - Fredericton
第十日・・・Fredericton - Quetec City

***第一日目

まず,TorontoからHwy401にのって,Montreal を目指します。Hwy401はMontrealと Torontoを結ぶカナダのlife lineのような道路で,西はDetroitを経由してアメリカにつながっています。
 最初は渋滞気味だった道路も,右手にオンタリオ湖が見え出すあたりから空いてきて,時速120キロで順調に走っていきます。時々,VIA Rail(カナダ旅客国鉄)が走っている線路と交差します。

 3時間ほどでKingstonを通過。ここは200年ほど前,最初にカナダの首都が おかれた歴史ある街です。陸軍士官学校があって,夏の夕方,練習のセレモニーが あって,それがオンタリオ湖の日没を背景になかなか良いらしい。が,今日は通過 です。
401から湖に向かって,Thousand Island Highway というルートが分岐して 行きます。ここは,セントローレンス河の中に,小さな島が何百も点在していて, 眺めの良い所です。松島みたい。リゾート地で,お金持ちの別荘が島一つ,使って 建っていたりします。ちょうどアメリカとの国境にまたがっていて,歩いて5分の ちいさな島の北半分がカナダ,南半分がアメリカ,なんていうのも見られます。 が,ここで有名なのは,なんと言ってもサラダ・ドレッシング。「サザンアイランド」 です。ここのリゾートホテルのコックさんが考えて,世界中に広まったそうです。

 この旅行ではひたすら,先を急いだんで,Thousand Islandも標識を眺めつつ通過。 Cornwellという所から先が,いよいよケベック州です。別に,日本の県境と変わらず, ゲートがある訳でもないんですが,いきなり道路標識が全部,フランス語に変わる。 ストップサインが,"ARRET" って出てる。もっともこれ,生粋のフランス人が「おかしい」と言ってました。フランスでは "STOP" なんだそうです。
 道路は同じですが,名称がHwy401 から,autoroute 20 に変わります。なぜか, 道路はケベック州の方が良く整備されているような気がする。 道路の両側に広がる広々とした農地も,オンタリオはなんか荒涼とした感じがします が,ケベックはきちんと区切ってあって,彩りもきれい。

 Montrealは,セントローレンス河に浮かぶ巨大な中州の上にできた街です。 道路も長い橋を渡って,市街地に入っていきます。私は仕事でもう何度も来ていた ので,土地勘がありましたが,家族は急にフランス語圏に入ったのできょろきょろ。 ベル・カナダの本社の高層ビルを目印に市の中心にアプローチし,Queen Elizabeth Hotelの駐車場に無事,入りました。Torontoを出てから6時間です。

 Montreal では,17世紀の街並みを保存してあるOld Montreal を見て歩きました。 Jacques Cartier広場の夏の雰囲気が好きです。テラスが出て,大道芸人に人だかりがしている。石畳の道で,絵描きが似顔絵のバイトをしている。この明るさはTorontoには,見あたらない。文化って,美術や音楽だけではないんだと,Montrealに来る度に思います。

 さあ,明日は朝,早く出発して,Quebecを経由し,いよいよGaspe半島に入ります。

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***二日目

 朝早く,Queen Elizabeth Hotelを出発。オリンピック公園の脇を通って 市街を抜け出し,セントローレンス河の北岸沿いに,Quebec に向かいます。
 30分も走ると道路の両側は見事な森林になりました。道路はまっすぐで, 舗装がきれい。Montreal - Quebec 間は,ケベック州にとっては政治と経済を つなぐ重要路線なのでしょう。
途中,ドライブインのハンバーガーショップで朝食を食べたのですが,英語が 通じない。困った。手まねで注文します。ここから先,New Brunswick州に たどり着くまで,英語が満足に通じたことはほとんどありませんでした。
 一時間ほどで,Trois-Rivieres という都市を通過します。このすぐ近くに Notre-Dame 寺院があって,そこのステンドグラスは現代美術の代表作なんです が,この日はスケジュール上,通過せざるを得ませんでした。まあ,この辺りは また訪れる機会があるでしょう。

 Quebec までは二時間半のドライブ,Quebec 自体は,帰路で宿泊する予定なの で,市街地には入らず,有名なホテル,Chateau Frontenac を見上げつつ,東に通り抜けます。
 今日のここでのお目当ては,Orlean 島。セントローレンス河の中の大きな島 で,河岸から長い鉄橋で渡ります。

 Orlean島は平らな島で,一周約50キロ。土地が大変,肥沃な所だそうです。 17世紀にノルマンジー地方から移民がやってきて,自分たちの故郷そっくりに 農地を開拓しました。それ以降,河に囲まれて,外の世界との交流もほとんど なく,この島の人々はほぼ自給自足の生活を三百年,続けているそうです。  それで,車で走ると,本当にノルマンジーの田舎に来たみたい。本物は 見たことないですが。農家が石造りで,屋根がゆるやかに曲線を描いています。 ブドウ畑もある。
 Restaurantの標識で,車を止めました。ところが,なにもない。駐車場の看板 に何か書いてあるんで,そのフランス語を必死に解読すると,この番号に電話せよ,迎えに行く,ということらしい。でも,近くには公衆電話もない。しばらく様子を見ている と,向こうの方からなんと,古風な馬車が・・・。観光用のではなくて, ヨーロッパ映画に出てくる様な,本格的な "Wagon" です。レストランの客を 送ってきた所でした。
 これに便乗して着いたレストランは,もっとすごかった。二百年前の大きな 農家をほとんどそのまま使って,当時のままのケベック家庭料理を出して いました。挽肉のパイに豆のスープ。メープルシロップのお菓子。  真夏なのに風が涼しくて,かまどの火がパチパチ,燃えています。 木のテーブルに,野の花がきれいに生けてある。
 時は,200年間,止まっているかのようでした。どうやら,近代化の忘れ物を見つけたようです。

 馬車で駐車場に戻って,車で島の東端まで行きます。ちょっとした展望台が あって,セントローレンス河が見渡せる。大きなコンテナ船が,河を上ってきます。
 ヨーロッパ人によるカナダの発見者,Cartierは,大西洋を渡って,Gaspe半島 に上陸した後,この河をさかのぼって,この島にまで到達しています。1553年の ことです。彼は,この島に自生していたブドウを見て島の名前を「バッカス島」と名付けた,という逸話が残っています。酒飲みだったんだね。
 島の村々には,必ず教会があります。カソリックの教会で,尖塔が天をさして いる。入り口に,大きく手を広げたマリアの像が,人々を迎えます。

 さて,Orlean島を後にして,今度はセントローレンス河の南岸に沿った道路を,東に向かいます。低い山が延々連なって見える。人工衛星から見ると,河の作った河岸段丘じゃないだろうか。単調な,眠くなりそうな道路です。
 途中の案内所で,電話を入れます。相手はモントリオールに住むフレンチカナディアンの人,私の仕事の交渉相手なんですが,いっしょになって苦労している内に,友達になっちゃいました。
 その彼が,Gaspe半島のセントローレンス河沿いの小さな村に,コテッジを持っているそうなのです。私がGaspeに行く,というと,そんな所に来る外国人は初めてだ,とびっくりして,晩飯にさそってくれたんです。

 Orlean島から約3時間,日がちょっと傾きかけた頃,ようやく彼が書いてくれた地図の入り口のところまで,たどり着きました。Montrealからはすでに五百キロ,走っています。地図の道路を入っていくと,セントローレンス河が目の前に広がります。もう,対岸は見えません。海のようです。
 一家は,その大河に面したコテッジで待ってくれていました。 ごちそうしてくれたこと。ご夫妻とも日本文化にすごく興味がある人たちで, そんな話を散々,させられましたが。おっと,英語で,です。実は彼はパリ生まれのフランス人で,ケベックに移住した人なです。それで,英語が下手。それで,やはり英語が下手で話のテンポが合う私と,親しくしてくれるんじゃないかな。

 彼の趣味はカヤック。コテッジのすぐ前からセントローレンス河に こぎ出すそうです。
「時々,クジラを見るんだよ。何匹も並んで,沖合で潮を 吹いている。」「えっ,クジラって,海にいるんじゃないの?」 「河の水をなめてごらん。」 わーっ,しょっぱい! もう,河と言うよりは 大西洋に面した湾と言った方が,正確なのかもしれません。まだ,河口からは 五百キロ以上,離れているのに。

 さて,フレンチカナディアンの一家とお別れして,元の道路に戻り,東を目指します。 この先,Matane という所のモーテルに電話を入れて,予約してあるのです。 もう日はとっぷり暮れて,真っ暗。雨がぽつぽつ,降ってきました。 道路標識を見失わないよう,目を凝らして進んで行きます。雨はだんだん, 激しくなってきて,フロントガラスを滝の様に流れていきます。
 そして,ついにミス・コース。まったく違うところに向かう標識が 出ています。5キロほど戻って,道路の分岐を確かめ,正しいルートに 戻ったつもりが,なぜかまた,同じ所に。
 雨は降り止みません。このまま一晩中,走り続けるのか,と観念したところに,Petro Canadaのスタンドが。
「英語,分かって」と,祈るような気持ちで入っていくと・・相手も下手だけ ど,通じました。道がループ状になっているそうです。一つ前の信号を逆に 進めばいいんだ。親切な人でした。でも,こんな寂しいところに一つだけ深夜 営業のスタンドがあるなんて,不思議。もっとも相手も,こんな時間にこんな 所を走っている東洋人一家を不思議に思ったでしょう。

 夜12時,真っ暗なMataneの町をほぼ通り過ぎて,モーテルにチェックイン した時には,くたくたでした。
 翌日,睡眠不足ぎみのまま,Perseを目指します。

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***三日目

 さて、翌朝、起きると雨は上がっている。
 モーテルの窓の向こうに大海原が見えています。波はおだやか。いや、まてよ。 これは海ではありませんでした。セントローレンス河なのです。
 今日はGASPE半島の東端、PERCEを目指します。地図で見ると、海岸、いや河岸沿いを細い道がうねって続いている。
 ガソリンを入れて出発する頃、きれいに晴れてきました。

 河沿いの道路は、緩やかな丘を登ったり降りたりしながら、農地や林の間を通っていきます。数キロ置きに、小さな村が現れる。村のどの家も、ケベック州の、白地に青の旗を立てています。もちろん、看板はすべてフランス語。途中、休憩がてら入った街道筋の食堂(レストランでなく、まさに日本の「大衆食堂」風)でも、おばあんは英語がまったく通じない。フランス語のテレビを、大きな音でかけていました。

 やがて道の右側が小高い山となり、道路は河に寄り添うように走っています。カーブが多くなる。切り通しのような所を通って坂を下ると、漁村が見えてくる。日本のどこかの海辺の風景のようでもあります。
 でも、村の真ん中に、かならず教会がある。塔が天を突いています。
道路に面して教会の入り口があります。その入り口にはマリアの像が立っている。そして、マリアは必ず、セントローレンス河に向かって、大きく手を広げているのです。
 遠く、ヨーロッパから大西洋を渡ってくる移民達を、迎えているのでしょうか。それとも、海の向こうの故国を懐かしんでいるのでしょうか。

 午後にはいると、もう村も現れなくなり、道の右側は、険しい崖がそびえ立っています。左側のセントローレンス河を見ると、波が打ち寄せている。崖に張り付くように道路は進んで行きます。
 これも同じ、カナダの風景なのだろうか。 ロッキーの山々、プレーリーの、360度見渡す限り広がる小麦畑、アルゴンキンの大森林、そして大西洋岸の、波に洗われる海岸線と、カナダの自然は多様性に富んでいます。

 細長い入り江のようになっている所の波打ち際に下りて、景色を眺めながら休憩したりして、MATANEを出てから6時間、GASPE半島の東の突端のFORILLION国立公園の標識が現れました。ついに、セントローレンス河を下って、大西洋に到達したのです。 トロントからまる3日がかりでした。

 FORILLION国立公園は、巨大な岬が大西洋に向かって突き出しています。岬の突端からの眺めは、例によってものすごいスケール感。小さな灯台が立っています。それ以外は、空と海にはさまれて、何にもなし。

 公園の案内所で、海鳥の説明など読んでいる内に、この公園の南側にある小さな港から出る、WHALE WATCHING のボートのパンフレット、見つけました。これ、明日、行ってみようか。

 さて、公園を回り込んで岬の南側に出て、ボートが出る港の見当など付けつつ、海沿いのGASPEの街を通ります。ここは1534年、フランス国王の援助を受けた探検家、ジャック・カルチエが、小さな帆船で大西洋を渡り、辿り着いた所です。これがヨーロッパ人によるカナダの「発見」です。
 でも、GASPE自体はさびれた街で、そのまま通り過ぎて、PERCEに向かいます。途中、大西洋を望む小高い丘があって、一面、ピンクや紫の花が咲いている。なんか、どこに行っても秘境の風景のようです。

 PERCE に入った時にはもう、日は西に傾いていました。ここは、海の中に巨大な軍艦のような岩がそびえ立ち、その岩が何千年もの間、波で現れて、真ん中に大きなトンネルのような空洞ができた、そんな奇観で有名な所です。その岩に夕日が当たって、 オレンジ色に輝いています。海鳥が空を舞っている。
 PERCEの街は、保養地で、なんか日本の海辺の小さな観光地みたいに、お土産もの屋やら、貸しボートやらが並んでいます。
 泊まったのは、ホテルとモーテルの中間位の宿。ここは良かった。 部屋のテラスからそのまま海岸に出られるようになっていて、向こうに例の奇岩が大きく見えます。あそこも明日、行ってみよう。引き潮の時は、歩いて渡れるそうです。

 その日は、おいしいシーフード料理を食べて、ぐっすり休みました。


ペルセの奇岩
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***四日目

 さて、翌朝、早起きして、きのう見つけた、WHALE WATCHINGのボート乗り場を目指します。PERCEに入って来た道を逆戻りし、FORILLION公園の中を少し走って、船着き場に出ました。

 料金を払って、救命胴衣を渡され、ボートを待っているのですが、一向に現れない。そのうちにお客さんが7、8人に増えました。フレンチカナディアンの漁師のおじさんのような人が、ぶらぶらやって来て、「じゃあ、行こうか。」 えっ、この、救命ボートみたいな黄色いゴムボートで行くの? 一応エンジン付きですが。この辺から嫌な予感がしました。
 エンジンの音高らかに沖に出ると、さすがに眺めが良い。遠く、PERCEの奇岩が見えています。海鳥が海面すれすれに飛んで、魚を狙っている。ゴムボートは小波に乗って、ピョンピョンはねるように進んでいきます。
 時々、漁師のおじさんがボートを止めて、双眼鏡で海面を探すのですが、クジラは見えず。こうして小一時間経ちました。今日はいないのかなあ? 
 おじさん、客を乗せている責任を感じたのか、だんだんボートを沖合いに出すのです。もう、FORILLIONの岬の一番先まで来ている。これから先は、外洋だよ! でも、クジラは見あたらない。
 風も出てきて、急に波が高くなりました。乱気流に巻き込まれた軽飛行機の ように、ボートは激しく上下します。最初は喜んでいた娘(その時、6歳になりたて)は、気分が悪くなったらしく、べそをかいている。家内も、気持ち悪い、と言っている。
 やがて、双眼鏡を見ていた漁師さんが、いたぞ、向こうだ、と言って、ボートを勇ましく大西洋のど真ん中に向かって走らせ始めました。真っ正面から、大波が、ザッバーン!! 頭の上から海水をかぶって、全身水浸し。お客さんがキャーキャー、悲鳴を上げています。ボートの先の方を見ると、二階建ての家ほどもある波が、こちらに迫っている。ドッカーン!! 一瞬、上に持ち上げられたかと思うと、ジェットコースターよりもすごい勢いで、下に打ちつけられました。びしょぬれ。口の中が塩辛い。娘を見ると、寝ている。いや、気絶したか。 遭難して救命ボートに乗っているのって、こんな感じでしょうか。ボートごとひっくり返って、海に投げ出されそうです。
 見えた! クジラだ!! 私は、思わず立ち上がって、その瞬間、ボートが波の谷間にズドン! また、頭から海水をかぶります。
 もう一度立ち上がって、いたーー!! 波と波の間に、黒い背中が!!あれかあ。ん? 潮、吹いたか? また、ドーンと波に当たって、ボートの縁にしっかり掴まります。
 娘が目を開けたようなので、クジラだぞ! と叫ぶと、決死の覚悟のような顔して、海面を見ました。ほら、あそこ!うん、いた! それでまた、気絶してしまいました。
 結局、3時間後に船着き場に戻ってくるまで、遊園地のどんなスリリングな乗り物にも勝る迫力を味わいっぱなしでした。こんなゴムボートで、大西洋の荒波にこぎ出すなんてなあ。

 ちなみに、カナダの海岸線は、太平洋も大西洋も、クジラが見られます。
このGASPE のWHALE WATCHING のボートは、かなり原始的なものでしたが、B.C.州の VICTORIA に行った時に見かけたのは、同じゴムボートながらもっと大きく、クジラを探すレーダーをちゃんと備えていました。まあ、海が荒れるのに変わりはないかも しれませんが。船が立派だったのは、HALIFAX で、ちょっとした観光船位、ありました。でも、あんなに大きな船では、クジラが逃げちゃうのでは。乗りたいなあ、と思ったのですが、そこは出張で行ったものですから、、。さすがにビジネススーツ着たまま、そんな所に行く訳にはまいりません。

 さて、迫力のWHALE WATCHINGの後、きのう見た、秘境の花園のような所でひと休み、それからPERCE に戻って、引き潮の時間を選び、奇岩に渡ってみました。砂浜から、岩場が渡り廊下のようになっている所を歩いて行きます。足場が悪く、滑ります。 やがて、岩の下に出て、例のトンネルの所まで行ってみました。
ここから見る海岸は、なかなかきれい。海鳥が飛んでいます。岩の間を、カニが這っている。
 さあ、もう帰るかい。 その辺りに大勢いた人がぞろぞろ引き上げ始めています。さっき来た、岩場の渡り廊下の所に来て、びっくりしました。もうだいぶ海面が上がっている。まだちゃんと歩けますが。あと30分、ゆっくりしていたら、危なかったかもしれない。奇岩のふもとで、足を波に洗われながら、一晩過ごしたかもしれませんね。  この日も再びシーフードを食べ、休みました。
夜、一人で海岸に出て、星を眺めます。月明かりに、奇岩が黒く、浮かび上がっています。ドドド、という潮の音。
 その時は、カナダに来てからまだ一年ちょっとでした。
東京にいたのが、ついこの間だったんです。 環境とは、偶然のきっかけで、こうも大きく変わるものなのか、、、、。
 さあ、明日は、GASPE を南側に回って、NEW BRUNSWICK州に渡ります。

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***五日目

 Perceを車で出発してすぐに、道は上り坂となり、例の奇岩を真上から見おろす所を通ります。波が岩のトンネルを通り抜けているのが見える。道路端には、きれいな花がたくさん咲いています。この、文字どおり地の果ての風景をまた見ることがあるだろうか。 崖のカーブを回って、岩が見えなくなるまで考えていました。

 さて、今日は「移動日」です。ひたすら、New Brunswick (N.B.)州のMonctonという町を目指します。このMonctonという町自体、特に見所はないんですが、ルートの都合上、そこで一泊することにしました。

 Gaspe半島を大西洋沿いに、南側に回り込んで行きます。
半島とNew Brunswick 州との間は、ちょうど瀬戸内海ぐらいの大きさの深い入り江となっていて、その入り江がようやく狭まったRestigoucheという、いかにも侘びしい地名の町から、対岸のN.B.州のCambelltonという所に渡る橋がある。地図で分かるのはそれだけです。
 Perce を出たときには晴れていたのに、一時間ほどで空が暗く曇ってきて、大粒の雨が降り出しました。Gaspe の南岸を行く道路とは言え、入り江から少し離れた丘陵地帯を通っているので、海は見えず、単調な眺めが延々、続いています。
 フロントガラスをワイパーがふき取っている音が延々と聞こえる。地図にものっていないような小さな村が現れては消えて行きます。道には水たまりが出来て、水しぶきが上がる。
 途中、何度かN.B.州に渡るフェリーの標識が出ましたが、こんな日はフェリーに乗るのも侘びしい気がして、ひたすら地図で見た橋を目指します。

 3時間ほど、うら寂しい風景の中をドライブして、ようやく橋のある町に入りました。車が急に多くなる。州境の、交通の要衝なのでしょう。標識を見ながら、古い鉄製の橋を渡りました。
 これで一旦、ケベック州とお別れ、N.B.州に入ります。時差があるので、時計を一時間、進めました。

 N.B.州は、カナダのMARITIME PROVINCES の一つで、あんまり観光名所はありませんが、緑と水が豊かな所です。州の北から南に、St. John 河という大きな河が流れており、また、州のいたる所には湖や、それを結ぶクリークが通っています。
 この州の南部は17世紀に、「アカディア」という、「ケベック」(当時はフランス領カナダという名前でした)と並ぶフランス植民地があった所です。今でも、フレンチ・カナディアンが多く、州政府は英語とフランス語の両方を公用語としています。
(カナダ連邦政府の公用語は英・仏両国語ですが、例えばオンタリオ州の州としての公用語は英語、ケベック州のそれは仏語で、州政府としても両国語を公用語としているのは、N.B.州だけです。)

 N.B.州に入ると道路はHighway となり、まだ小雨が降る中、速度を上げて飛ばして走っていきます。途中、Bathurst というかなり大きな町が見えたのですが、ここも通過。ひたすら先に進みます。その辺りから道路は南下し始め、両側にNew Brunswick の森が広がり出しました。

 午後三時、道路はトランスカナダ・ハイウェイと交差しました。 トランスカナダ・ハイウェイは、カナダを東西に縦断する、全長八千キロにのぼるハイウェイ・システムのことで、連邦政府と各州政府が共同で管理しています。カナダという巨大、かつ多様性に富んだ国土を持つ国で、この道路は単なる交通手段だけでなく、西の B.C. 州から東のNewfoundland州までをタガのように一つに結ぶ、カナダ統一の象徴です。今世紀半ばまでは、この役割はカナダ太平洋鉄道が果たしていました。
 もっとも、このハイウェイは必ずしも一本の長い道路ではなく、各州の主要な州道をむすぶ形になっていて、途中、枝分かれしたりもしています。
 今回の旅行では、MontrealからQuebec を通り、Gaspe のRimouskiという所まで、トランスカナダ・ハイウェイを使いました。そこからハイウェイはN.B.州に向かって南下し、私は遠回りをしてGaspeの東端まで行って来て、今、またハイウェイに戻った訳です。

 さて、このハイウェイを東に行けば、P.E.I. に向かうフェリー乗り場に着きます。(このフェリーもトランスカナダ・ハイウェイの一部)が、今日は逆に西に少し向かって、Moncton の街に泊まります。Moncton は、昔のアカディア植民地の中心で、フレンチ・カナディアンの街のはずです。

 Moncton のホテルに入る前に、ちょっと面白いものを見物しに行きました。市の郊外に、変な坂道があるそうなのです。登り坂に見えるのに、車のギアをニュートラルにすると、するする上っていく、という・・・。
 行くと、そこは観光名所になっているらしく、小さな遊園地まで出来ている。さて、入場料を払って、問題の、一見、何の変哲もない田舎道の緩やかな坂の下に車を止めると・・・ああら, 本当にゆっくり上って行きました。
 目の錯覚という説(多分、そうでしょう)と、地面の下に大きな隕石が埋まってて重力の方向が狂っている、という説があるそうです。
 まあ、そんなくだらんもので気分転換して、Monctonの市街に入り、ホテルにチェック・イン。
 夕方、ちょっと街を歩きました。不思議に若者が多い街です。それも、街角に手持ちぶさたにたむろしたりしている。特に見るほどの店もない。ぐっと引かれるレストランもない。

 Monctonや同じくN.B.州の南海岸にあるSt.John という街は、合衆国のニューイングランド地方に接していて交通が便利なことから、近年、急成長しているそうです。でも、Monctonの雰囲気は、場末の工場町のようだった。昔のアカディアのイメージから、もう少しきれいな所を想像していただけに、意外でした。

 さて、この日はビールを飲んで早々に寝てしまい、翌日のPrince Edward Island、「赤毛のアン」の島に備えることにします。

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***六日目

 朝、雨は止んで、霧がかかっています。トランスカナダ・ハイウェイを東に向かって出発。一時間ちょっとで、Prince Edward Island (P.E.I.)に渡るフェリー乗り場に着きました。
 フェリーは幹線ルートだけあって、大きい。駐車場に満杯だった車をみるみる飲み込んでいきます。フェリーのお腹に車を止めて、甲板にでます。上にはP.E.I.の、大きな木と小さな木が並んで立っている絵柄の旗がひるがえっています。霧は晴れて、N.B. 州の緑の低い丘がだんだん遠ざかって行くのが見えました。振り向くと、もう、プリンスエドワード島が水平線の向こうに姿を現している。平べったく、鳥が羽を広げたような 形をしています。

   このフェリーは、時間にして一時間程で、N.B.州とP.E.I.州を結んでいます。夏は良いのですが、冬場はこの海峡は氷の海となる。フェリーも実は砕氷船になっているそうですが、氷が厚いときは、普段は一時間の距離を渡るのに、5、6時間かかることもあるそうです。
 この為、今、トランスカナダ・ハイウェイの一部として、ちょうどこのフェリールートに沿って、橋の建設が進んでいます。橋は97年の夏には出来上がる予定で、P.E.I. へのアクセスは良くなるのですが、私は、あのちっぽけでのどかな島が車であふれてしまうのではないか、と心配しています。

 さて、フェリーはP.E.I.側の船着き場に接岸します。
車で上陸し、シャーロットタウンを目指します。海岸を離れると、緩やかな丘陵が続いている。緑の牧場で、牛が群をなしています。赤土と緑のコントラストが、絨毯のよう。パステルカラーの可愛らしい家々。村を通りかかると、よろず屋の前に、まるで「赤毛のアン」に出てくるマシューおじさんのような人が立っている。
 のどかだなあ。これは、良いところだ!

 小さな島なので、40分程でシャーロットタウンに着きました。 ここではちょっと贅沢をして、CP系の Prince Edward Hotel を予約してあります。ホテルのロビーには、到着客の大きなスーツケースが並んでいる。ツアーのお客さんかな。おお、Kato, Suzuki, Tanaka,日本人ばかりじゃないか。 ロビーの向こうの旅行代理店にも日本語の看板が。そこに家内が、チェックインしようとしたらフロント係が日本語を話したあ! とびっくりして戻ってきました。

 街を散歩します。目抜き通りは観光客向けのお店が多い。「赤毛のアン」人形をたくさん、売っています。P.E.I. の特産品にして、カナダの重要な輸出資源だね、これは。どこに行っても日本人の若い女性に会います。

 お店の人も、日本人には親切にしています。そもそも、「古き良きカナダ」の雰囲気を残している土地柄に加え、土地の人に日本人観光客の評判が良い。そもそもここには、日本人の評判を落とすようなツアーは、まずやってきません。純粋にP.E.I.の良さを味わいたい人ばかりでしょう。それにみな、お土産をたくさん、買っていくしね。

 シャーロットタウンは、カナダ史で必ず登場する町です。
1864年、この町にオンタリオ、ケベックなど、当時の「英領カナダ植民地」の代表が集まり、カナダの「自治」を決議しました。これが、カナダの国家としての成立、Confederation です。P.E.I. 州政府の古い建物の中には、この会議を行った部屋が残っています。  もっとも、この各州の代表者達は、アメリカの旧イギリス植民地とちがって、イギリス議会に自治を「請願」に行ってしまった所がいかにもカナダ的なのですが。
 この史実が島のイギリス風田園の風景と重なって、P.E.I. はカナダ人(特にイギリス系の)にとって「ふるさと」のような響きがあるようです。
 実際、シャーロットタウンは古い建物が多く、雰囲気の良い町でした。
そして、港に面したレストランのテラスで食べたロブスターのうまかったこと!

 さて、この日は、晩に「赤毛のアン」のミュージカルのチケットを取っていました。有名なミュージカルらしいのですが、なんか「観光地」のイベントみたいな感じがしていたのと、トロントの旅行代理店の「日本からのお客さんがみな見に行きますよ」という話とで、まあ、あまり内容は期待していませんでした。

 Confederation Centre の中のホールに出かけて行きました。
このセンターが、連邦政府の施設で立派なものだったのに、まずびっくり。 で、うん、いるいる、ほら、あの人も日本人、この人も日本人、しーっ、指さして「あっ、日本人だ」なんて言っちゃダメ。日本語通じるんだから・・・家族でヘンテコな会話を交わして座っているうちに、ミュージカルが始まりました。
 で、これがびっくりするほど良かった!! 本場でした。
 定期公演ながら、連邦政府がバックアップしている芸術祭のメインイベントなんですね。カナダとしてはトップレベルのキャストが集められていて、さすがに上手い。音楽もストーリーと見事に調和している。なによりも、「これは我らがカナダの代表作品」という訳で、上演する側の思い入れが伝わってくる。

 途中、カナダ史をさらっとおさらいしてみせるシーンがあったりで、どうやらこれは、連邦政府のキモ入りで、「赤毛のアン」をカナダの国民文学として位置づけようとしているのかな、とも思いました。カナダ国民の理想像を次の世代に伝えようとしているのではないか・・・。

 もっとも、「赤毛のアン」ブームに火を付けたのは、日本だそうです。P.E.I. の人たちは、15年ほど前、突然、日本人の女の子が大勢やってきて、「赤毛のアン」の家はどこ? と島を巡りだしたので目を回したそうです。
 カナダでは「赤毛のアン」は、一時のブームの後はさほど読まれていなかったらしく、それが「世界文学」として広まりつつあるとは夢にも思っていなかったようです。それから再評価が始まり、連邦政府がのりだしてくる、と、これもいかにもカナダ的な話です。

 そんな風に、この島の滞在はだんだん楽しくなってきました。 明日はいよいよキャベンディッシュ、「赤毛のアン」のふるさとです。


プリンスエドワード島の風景
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***第7日

 P.E.I.の二日目は、CAVENDISH に向かいます。
CAVENDISHは、アン・モンゴメリが生まれ、育ち、「赤毛のアン」 を書いた所、そして作品の舞台です。

 シャーロットタウンの街を出ると、道は、牧場やじゃがいも畑が 緩やかな丘をなす間を走ります。その所々にカナダの大西洋側の州特有の、 薄いピンクや緑、黄色の壁をしたおもちゃ箱のような家が、並んでいる のが見えます。

途中、New Glasgowという小さな町を通りました。「赤毛のアン」の冒頭で、駅についたアンをマシューおじさんが馬車で迎えに行ったところです。1950年代までは、 P.E.I. を東西に走る鉄道が健在でした。今でも、島の主要な町には、駅の建物が残っていたり、線路の跡があったりします。
 New Glasgowの四つ角には、おおきなジャムのお店がありました。 入ると、うーん、いいにおい。ガラスの向こうで、ジャムをビンに詰めて いるのが見られます。「このジャム、なめたい」と言うと、 アイスクリーム食べる時に使う木のスプーンで試食させてくれる。
Cavendishまでの道は、アンがマシューおじさんに連れられて来た道です。道路は舗装されましたが、周囲ののどかな風景は当時からほとんど変わっていないそうです。

 さて、Cavendishは、四つ角に教会と郵便局があり、その周囲に家が数軒立っている・・・それだけの小さな村でした。この郵便局で、モンゴメリはアルバイトし、その間に「赤毛のアン」を書き上げ、トロントの出版社に向けて投函したそうです。郵便局の中に入ると、その話が誇らしげにパネルで説明してあり、その頃、郵便で使っていたいろいろな物が展示してありました。でも、建物自体は、最近改築された普通の郵便局です。

 郵便局の四つ角から少し西に行くと、左手に緑色の屋根の可愛らしいお家が現われ ました。これが "Ann of The Green Gables" の家。
もともとはモンゴメリのおじさんの家で、彼女はこの家を小説の設定のモデルにしたらしい。それをカナダ連邦政府が買い取って、小説に出てくるのとそっくり同じに改装してあります。このあたり一帯は、小さな国立公園になっていて、小説そのままの雰囲気を保存してあるそうです。
 とは言え、観光客は多い。入り口にちょっとした行列ができていました。
中に入ると、まあ、カナダの開拓時代の面影を残す質素な作りです。家内が、これは小説の登場人物の誰の部屋、これはどのシーンが再現してある、と娘に説明しながら感激していました。あの小説を読んだ女性は、一度は見たい場所なのでしょう。
 外に出て、家の前で娘の記念撮影をしてやります。大人になったら、思い出してほしいな。

 さて、アンの家から森に向かって遊歩道が続いています。これが小説に出てくる有名な、、、「お化けの森」だそうです。作品はこの辺りの自然を完全に描写していたんですね。「輝く湖水」も近くで発見しました。
 お化けの森を抜けると、モンゴメリが眠る墓地。そして、四つ角を渡って先ほどの郵便局があり、その裏手の林の中にモンゴメリの住んだ家の跡があります。
 その敷地の中のお土産屋を見ていたら、店のカナディアンのおばさんが、「こんにちは」って声をかけてきました。日本語の簡単な日常会話はOKなんだって。
聞くと、日本からのお客さんが多いので、この小さな島はちょっとした日本語ブームになっているそうです。シャーロットタウンに日本語のクラスがあって、そこは順番待ちの状態、でも、文化の違いの勉強にもなって、すごく楽しいと言っていました。

 そんな風にして、昼飯をはさんで半日弱でCavendishはひと通り、見てしまいました。近くがもう海岸で海水浴もできるんですが、ちょっと天気が崩れてきている。どうする? 家内が本を一冊、取り出しました。「アンの島・風だより」--P.E.I.に別荘を買った作家と、島にティールームをオープンしたその友人。
 なんだい、この本は? 「赤毛のアンの島」にあこがれて、日本からここに永住した人の話。それぞれの形で夢を実現させたふたりが感じ、語りあう、だって。中を見ると、ふうん、写真がきれいだ。
 じゃあ、このティールームに行って見ようか?「ブルーウインズ」なんて、名前もいいじゃない。

 Cavendishから田舎道を西に辿ると、右手に海が見えてきました。
かわいらしい入り江に漁船が浮かんでいます。緩やかなアップダウンを30分も走ると、一面乾し草の牧場を前にして、アンティックの店と、その裏のティールームが見えてきました。ティールームは丘の上にたっていて、裏は緩やかな斜面。
その斜面に見渡す限り、紫の花が咲いている。その向こうには海が見えている。 そのまま絵本のさしえになりそうな、ため息がでるほどメルヘンチックな風景です。夢見る人達が日本からはるばるやってきて、ここに永住してお店を開いたのもわかるような気がする。
 で、そのティールームで早めの晩飯を食べてしまおう、ということになりました。 おや、ここにも日本人の観光客が来てる。メニューにカレーライスがあるぞ。なんか日本の喫茶店みたい。懐かしい。これにしよう。

 P.E.I.に永住したくなる人の気持ちは分かるような気がします。カナダでもトロントやモントリオールのような所とは違って、そこだけ隔絶され、完結した世界。自然が美しく、人々はやさしい。島全体におとぎの国のような空気がただよってます。この島に住んで、四季の移ろいを眺めていられたら、楽しいでしょう。
でも、仕事はそれこそ、ペンションか喫茶店しかないでしょうね。

 さて、この日はCavendishに戻ってモーテルに泊まりました。メルヘン調のB&Bもあるそうなんですが、何か月も前から予約でいっぱいでした。寝ていて、外に雨の気配を感じました。明日は、雨かな?

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***第8日

 やはり、雨でした。かなりひどい降りです。気温も低い。海岸で遊ぼうと思ったのに、残念だね。でも、車ででかけます。
 まず海岸に出て見る。風が強くて波が高い。砂浜のこちら側をはしる道路まで波しぶきがかかります。でも、見事な海岸線だ。雄大な海だ。人一人いません。

 せっかくなので、モンゴメリゆかりの場所を訪ねてみることにしました。
Cavendishから少し西に行ったNew London という所(すごい名前ですが、ここも四つ角を中心に家がパラパラたっているだけの村です)に、生家が残っているそうなので、そこに向かいます。途中、うまそうなロブスターの店を見つけました。
 モンゴメリーの生家は彼女の博物館になっていて、彼女の作品の初版本、ウエディングドレス、オルガン、等々が展示してありました。日本で翻訳された「赤毛のアン」の初版本もあり、この作品が日本に紹介された経緯がパネルで説明してありました。
 モンゴメリーは、「赤毛のアン」の大ヒットの後、結婚してトロントに移り住み、経済的には恵まれた生活を送ったそうですが、精神的にはあまり幸せではなかったらしい。

 さっきのロブスターの店で、昼飯にロブスターサンドを食べます。そこそこ、うまい。でも、観光客がバスでどんどん入ってくる。入り口が売店になっていて、ロブスターグッズを売っています。ふとパンフレット置き場を見ると、そこに何故か教会のパンフレットが? いや、それにしてはなんとかディナーと書いてある。へえ、教会の食堂でロブスターが食べられるの。晩飯はここだ!

 食い気の話はちょっと置きまして、Anne of Green Gables Museum at Silver Bush という所に向かいます。ここはモンゴメリの大おばさんの家で、モンゴメリが幼少の頃よく訪れ、いろんなお話を聞かせてもらった所だそうです。モンゴメリの精神的な故郷のような家だそうで、作品にもこの家がモチーフとして使われ、結婚式もここで挙げたそうです。

 Summerside という町に出てみました。ここも小説の舞台となった町だそうです。緑の多い通りに、レンガ作りの落ち着いた家並みがならんでいます。静かな町だな。ただ、雨は止んだけどまだ雲が低いせいか、町もちょっとさびれたような印象がしました。
 この町で特徴があるのは、もう廃線になった鉄道の大きな駅。今はバスステーションになっていて、何故かアンティックショップが併設してある、それが妙に似合っています。外には蒸気機関車が展示してあり、線路はそのまま残っていました。その線路をたどって少し歩いて見ると、町はすぐに終わってしまい、荒れた野原の中を、もう列車が来ることのない線路が続いていました。

 次に、島の北海岸に戻って、「アンの夢の家」に行って見ます。ここは、土地の人が、作品のイメージに合わせて、当時の学校等を再現した所だそうです。
途中、細長い入り江に面してパステルカラーの小さな家々が並んでいる風景を、丘から見下ろしました。小さな港にかわいらしい漁船が泊まっています。本当に「絵」になる風景でした。その家々の裏に回り込むように走ると、横長の鳥カゴのようなものがたくさん、積み上げてある。なんと、一つ10ドルで、おみやげに売ってました。ロブスタートラップだ! ロブスターはこの辺の海で、ものすごくたくさん獲れるそうです。

 さて、「アンの夢の家」は、まあ、当時の姿を再現しただけあって、お家も学校も「小屋」のような建物。教室にはユニオンジャックが飾ってありました。
 雨も上がったようだし、この裏の灯台を見に行こう。
森の中の道を走りだしました。すぐに舗装は終わってしまい、砂利道となる。
道が細くなったと思うと、その砂利も無くなって、赤土のぬかるみを大きくゆられながら進みます。みずたまりだらけ。車の屋根から、真っ赤な泥水をかぶります。何とかスタックさせない様ハンドルを切ながら、対向車がこない事を祈りつつ行くと、急に視界が開けました。見渡す限りの、海。曇り空で、海と空との境目が分かりません。強い風が吹き付けて来ます。灯台にもう光が入っていて、ほぼ一分おきに、宙をピカっと閃光が走ります。
 そして海鳥。こんな景色の中では、海鳥にすら親しみを感じてしまいます。

 しばらく、そんなグレースケールの風景を眺めてから、また赤土のぬかるみの中を帰ってきました。緑色のアコードのボディが、赤茶けてしまっています。後でエンジンルームを開けて見ると、その中まで赤土が入り込んでいました。

さあ、地図で見ると、この近くにホテルがあるよ。Dalvey by the Sea だって。行って見ようか。入り江に沿った道をいったん引き返して、なだらかな州道を地図を見ながら走って行くと、道路は海岸に沿って進むようになりました。左手に海。先ほどの灯台が、後ろの方に見えています。この海岸道路をかなり走った所で、右手にホテルの標識が出てきました。

 ホテルはもう、百年以上経ったかと思われる美しい木造建築。後で聞くと、かつてはある富豪のコテッジだったそうです。ロビー、というよりリビングルームに入ると、夏なのに暖炉に火が燃えています。高い天井。貫祿あるインテリア。
シーズンなんでお客さんは多い。その、出入りする客さえ、優雅に見えるんです。こんな所に、こんな別世界があるんだ。外のテニスコートから、ボールの音が聞こえてきます。  しばらくすると、ホテルの庭が夕日で照らされました。雲が切れたようです。
そろそろ晩飯を食べに行こうか。

 車で海岸道路に出て、海を見たとたん、息を飲みました。オレンジ色なのです。空と同じ色に輝いている。車を止めて、海岸に出ます。夕日はもう、水平線の上にかかっている。オレンジ色の光が、地上のすべてのものを照らし出しています。砂浜もオレンジ色に輝いている。小さな小屋があって、その小屋のガラス窓さえ、同じオレンジ色に輝いています。
 海と空は、向かい合う鏡のように、オレンジ色に燃えています。その色合が、刻一刻と変化していく。夕日は、水平線から立ちのぼる炎のようです。

 やがて、その炎が小さくなって、海に沈んでいくと、空は東の方から夜の色に変わって行きます。遠くの灯台の灯が見えてきました。高いところを海鳥が数羽、弧を描いて飛んでいます。
 スケールの大きな、見事な夕焼けでした。一生忘れないであろう景色とは、こんな景色のことなのでしょう。

 さて、ロブスターディナーをやっているという教会を目指します。
St.Ann(この地名は「赤毛のアン」とは関係なさそう)という村のカソリックの教会らしいのですが、本当かいな。
 海岸から離れてしばらく走り、丘陵地帯の中を標識をたどって、P.E.I.のどこにでもありそうな、のどかな村に入りました。真ん中に大きな教会がある。尖塔が夕闇の中、堂々と天を目指しています。ここかあ? 大きな駐車場だ。確かにロブスターの標識があるよ。  駐車場に車を入れて、教会の入り口を入ろうとしたら、矢印があって、「ロブスターディナー」はあちら、で、そこに行くと、なんだ、地下室の階段じゃないか。教会の地下室で晩飯か。ところが、入り口に行列が出来ている。前の方を見ると、へえ、食券買うの。ちょっと並んで、「ロブスターディナー」お一人様(確か)18ドルなり、を3枚、買いました。
 で、中に入ると、へーっ、大きなテーブルがたくさん並んで、どこかビアホール風。素朴なお姉さんに席に案内されました。お客さんが多いね。たぶん、有名なんだろう。
 食券の裏に印刷してあった説明書きによれば、このカソリック教区の人達が、 教会の建物の改築の資金集めに20年程前に始めたらしい。これが大当りに当たって、立派な教会が建ち、今は村のコミュニティーの様々な資金集めの為に、やはり村人達が運営しているそうです。とても教会の地下とは思えない、明るい雰囲気。オルガンがあって、軽音楽を賑やかに演奏しています。まてよ、あのオルガン、礼拝に使うヤツを上から持ってきたんじゃないか。
 でも、さすがに教会じゃあ、酒は出ないだろう、と話した瞬間、ウェイトレスの格好をした村のお姉さんが、ハウスワインはいかが、と注文を取りに来てしまって、またびっくり。ビールもウィスキーもあるそうです。この、場所や形式にこだわらない所が、いかにもカナダです。
 で、コースは、クラムチャウダーと、ボイルドロブスターという素朴な内容です。このロブスターが、、、絶品でした! プリプリしていて、甘い。マリタイム各州は、どこに行ってもロブスターがうまいけれど、この教会ロブスターは抜群だった。きっと、村人の家庭の味だったんでしょうね。

 そんな風にこの日は、教会でワインを飲んでロブスターを食べる、という希有の体験をして、Cavendishのモーテルに帰りました。さあ、いよいよ明日はP.E.I.を後にし、再びNew Brunswick、Quebecを横断してトロントに向かう旅の始まりです。


プリンスエドワード島の夕焼け
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***9日目

 P.E.I.は快晴です。モーテルをチェックアウトしてキャベンディッシュの交差点にさしかかるともう、グリーンゲーブルズの家の前に観光客が大勢、見えました。
 丘陵地帯の田舎道を、シャーロットタウンに向かいます。太陽が高くなるに連れて、牧場の緑が明るくきらきら輝き出します。昨日降った雨のせいでしょうか。本当に緑がきれいな島です。
 今日は日曜日です。今日はフェリーでニューブランスビック州に戻り、州都のフレデリクトンという街を目指します。

 再び田園地帯の道を、フェリー乗り場に急ぎます。ひょっとしたら12時のフェリーに乗れるかな? 海岸に出る長い坂道を一気に下って、、、残念! フェリーの駐車場は車でいっぱいでした。フェリー、一台待つかあ。順番通り車を止めて、休憩所を覗いていると、芝生の上でロックバンドが演奏を始めました。潮風に吹かれて、聴いています。まあ、のんびり行こう。

 さて、1時のフェリーに乗って、デッキからP.E.I.が遠ざかっていくのを見ていました。緑と赤土が丘をおおっています。フェリーの港のすぐ横に、海峡をまたぐ橋の橋脚が姿を現わし始めていました。この橋ができると、あののどかな島も変わるのだろうか。 アメリカのボストンからニューイングランド地方を通り、モンクトンに至る物流ルートにアクセスすることは、島の経済には大きなプラスでしょう。でも、この四国の半分程の大きさに18万人の人が暮らしている島ののどかさ、素朴さは、21世紀に残すことができるだろうか。

 そう考えているうちに、ニューブランスビックが見る見る大きくなってきます。こちらはやはり緑の陸地ですが、その緑が濃い感じがします。
 フェリーから降りてフレデリクトンまでは、トランスカナダハイウェイを走れば250キロ程ですが、地図で見ると、ちょっと海岸伝いに回り道をするルートがあって、「アカディア ルート」と名前が付いています。こちらを行って見よう。

 走り出してしばらくは、普通の田舎道でした。が、やがて右側遠くに海を望むようになり、道はうねるように小さな村の中に入っていきました。
 その村は、カナダのどこにでもありそうな、普通の所です。十字路を中心に General Storeや郵便局があり、家が立ち並び、少しはずれて中古車屋がある、、、。 でも、どの家も庭に旗を立てているのです。フランスの三色旗です。フレンチなんだ。旗だけではない。電柱まで、三色に塗分けてある。いや、良く見ると、旗の左上に、金色の星がついています。電柱にも必ず、金色に輝く星が描いてある。
 これは、アカディアの旗なんだ、と気が付きました。17世紀の終わり、今のケベックの「カナダ植民地」と並んでできた、フランスの植民地、「アカディア」は、ここだったのです。その、出来たばかりの植民地は、すぐ南にあるニューイングランドのイギリス勢力の攻撃を受け、18世紀始めの英仏戦争で本国フランスが敗退するのと同時に滅ぼされます。アカディアのフランス人達は、南下してニューオーリンズを目指したり、北上してケベックに逃げ込んだりしますが、その間に一家が離散し、親子の行方も分からなくなってしまう、という悲劇を幾つも生みます。
 北米にあった幻の国。今、その国の住民だった人々は、カナダ連邦政府が二言語政策を強化すると共にアカディアの地に帰りつつあるそうです。私が通った「アカディア ルート」はまさに、その幻の国を南から北に通過するルートだったのでした。

 この「幻の国、アカディア」については、将来改めて、資料を集めて見よう、出来れば何か、書いて見ようと思っています。その為にはモンクトン大学にある「アカディア博物館」も行ってみたいし、出来ればニューブランスビックの北東にある「アカディア村」(歴史を再現しているそうです)も訪れたい。ひょっとしたら、近世史で最も忘れられた部分なのでは、と思っています。

 さて、アカディアルートはモンクトンでトランスカナダハイウェイに合流し、西に向かってフレデリクトンに通じています。ハイウェイと言っても、モンクトンを過ぎると片側一車線の、カーブの多い道路です。何十キロおきかに二車線区間が現われて、追い抜きができるようになってはいるのですが、それにしても、夏場のホリデーシーズンでキャンピングカーが多い。乗用車で大きな家を引っぱっているようなものなので、道路の流れは悪くなります。対向車がこないことを良く確かめて、アクセルをめいっぱい踏み込んで追い抜く。こんな事を繰り返しているうちに、だんだん疲れてきました。もう、トロントを出てから四千キロ近く、走っています。道路は単調。走ることにだいぶ、退屈してきました。
 あくびが多くなった頃、大きな河が左側に現われました。船が行き来しています。河はゆったりと流れ、両側はニューブランスビックの深い緑です。セントジョン河だ。フレデリクトンはこの河のほとりの街、もうあと、50キロ程です。
 それにしても疲れてきた。あそこの野菜の直売店を覗いて、休憩しよう。

 野菜スタンドの小屋では、じゃがいもの大きな袋やかご一杯のレタス、トマト、ピカピカのラズベリーをダイナミックに売っていました。カナダの野菜はうまいけど、ここのは一段と新鮮そう。少し買ってこうか? もう後2日でトロントに帰るし。唯でさえ旅行の荷物でいっぱいのトランクルームが、ぱんぱんになるまでじゃがいもを詰め込みました。  ここですっかりrefreshして、フレデリクトンまであと、50キロを走ります。道路に "Royalist Route" の標識が現われました。

 ニューブランスビック州はアメリカのニューイングランドと国境を接している為、歴史的にいろいろな連中が入り込んでいます。と言って、とくに歴史的建物が多い訳でもないのですが。アカディアが滅びてわずか20年の後、イギリス王室を支持するイギリス系の人達がアメリカ独立戦争の難を逃れて、ニューブランスビックの中部に逃げ込み、フレデリクトンの町を作りました。彼等はさらに北上し、今のトロントに到達してアッパーカナダ、今のオンタリオ州を築きます。トランスカナダ・ハイウェイは、まさに彼等の通った道を結んでいるのです。

 フレデリクトンの手前で、セントジョン河を見下ろす長い橋を渡って、街に入っていきました。
 フレデリクトンは州政府と大学の街です。とうとうと流れる河のほとりに、古風なホテルと州立ギャラリーが並んで建ち、向かいにホールと小さく地味な州議会議事堂、その後ろには州政府のビルがあります。これが、日本で言えばちょうど人口10万人の小さな市の市役所ぐらいの大きさで、そこに大蔵省、産業省、教育省、農業省、漁業省など、すべて収まっています。なんか政府のミニチュアを見ているようです。
 そんな公共施設がパラパラあって、カナダ陸軍の昔の兵舎が博物館になっていて、その先に大変こじんまりした商店街が見える、フレデリクトンはそんな街です。そして、街のどこからもとうとうと流れるセントジョン河が見える。

 街でただ一軒のホテルに入りました。この古いホテルは、仕事で出張して来た時に、ロビーの公衆電話を使ったりしたことはあるのですが、泊まるのは初めてです。トロントから予約を入れておいたのですが、家族3人で泊まる値段としては異常に安かった。65カナダドルです。まあ、あの古さだからたぶん、中はとんでもないんだろう、と思っていました。
 ところが、立派だったんです。シャトーフロンティナックとは言いませんが、ちゃんとプールがあり、部屋は広々としたダブルで、窓の外に河が見えます。イギリス植民地時代の雰囲気をそのまま伝えているような立派な食堂も見つけました。時が止まっているようなホテルです。

 もう晩飯時だったんで、その食堂に行ってみました。窓の外の河がゆーったりと流れています。川面に夕焼雲が浮かんでいる。ボートが通っていって、緩やかな波が、夕焼け雲のあかね色を乱します。全然期待していなかったけど、静かなよい街だね。時計までゆっくり動いているようだ。本当に、一日30時間位はありそうな街です。
 それで、このレストランのスローなこと、スローなこと。まともな所がここ一軒しかなくてそれなりにお客さんは多く、お店の人も大勢見えるのですが、一向に料理がでない。スープとクラブハウスサンドで一時間半を費やしました。ゆったりとした時の流れが隅々まで染みとおっているんですねえ。

 晩飯が終わったときには、外はもう真っ暗。見て回る時間でもなくなってしまい、そもそもここが見るべき程のものはない街でありますので、そのまま「豪華」ホテルのプールで泳ぐことにしました。
 なかなか立派なプールで、サウナも付いています。そのサウナに一人で入っていたら、品の良いおじさんが入ってきて、話はじめました。ここの大学の先生だそうです。経済でも専攻しているらしく、日本の景気はどうかい? へえ、ここの州政府も海外で起債しているの、海外の投資家がカナダを見る目はどうかなあ? 日系の金融機関はカナダでどんな仕事をしてるの? フレデリクトンに度々来て、ついに家族連れで泊まっているなんて、外国の人には珍しいな。ここは良い街だろう? 本当に静かで、人々は穏やかだ。真面目な街で、研究生活にはいいぞ。大変フレンドリーな人ですが、話が終わらなくて、、、サウナの中です。体がカンカンに熱くなって、気が遠くなりそうでした。

 ところで、その後、やはりフレデリクトンに仕事で来たとき、面白いものを見ました。ここはロイヤリストが作った街だけあって、それなりに古い建物が点々と残っています。その建物の前に、ロンドンにいるような衛兵が立っているんです。もちろん本物ではなくて、まあ、観光用ですね。ミーティングの後で、昔は兵舎だった博物館の庭で一休みしていたら、遠くからバグパイプが聞こえてきました。えっ? 衛兵の交代までやるの? 通りに出て、待ち構えていました。で、来た来た、なんと、バグパイプ一本と衛兵が4人だけの、世界最小の衛兵交代でした。しかもそのうち一人はなぜか女性だった。
 ここは本当にのどかな所で、好きです。

 さあて、サウナの長話の後、ビールで体を冷やして眠ります。明日はケベックに戻り、ケベックシティのシャトーフロンティナックで、この旅行最後の夜です。

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***10日目

 ニューブランスビック州には、モンクトンや南岸の港町、セントジョンのような大きな町がちゃんと幾つかあります。それにもかかわらず、こんなへんぴで小さな大学町に州都を持ってきたのは、やはり米国の影響を避ける為だそうです。アカディアやロイヤリスト達の記憶が、ニューブランスビックの人々の記憶の底には流れているのでしょう。

 そんなフレデリクトンの静かな夜が明けると、外はセントジョン河の川霧で真っ白でした。これは出発でしても大丈夫だろうか。とりあえず、昨日ののんびりした食堂に行きます。Breakfast Menuでフレンチ・トーストを頼んだら、これがまた一時間がかり、、、で、いい具合にそれを待っているうちに、霧は晴れてきました。

 車に乗り込んで、出発です。今日はケベックを目指します。
フレデリクトンの街の中をしばらく河沿いに走ってから丘に上がっていくと、トランスカナダ・ハイウェイに戻りました。道路は河にそうようにニューブランスビック州のほぼ西の端までたどり着き、アメリカのメイン州との境目を北上します。この辺りでは、セントジョン河が大きな渓谷を形成していて、道路はその上の丘陵を通っています。河の真ん中が国境線で、向こう側にはアメリカの家が見えています。庭に星条旗を立てている家もあったな。
 ここからアメリカ側に入り、メイン州を突っ切っていっきにモントリオールの近くに出るルートもあったのですが、私は、カナダの中を走ることにこだわりました。この旅は、ただ単に、ガスペ半島の突端までいってからP.E.I.に渡って帰ってくる旅ではないのです。「カナダを見にいく旅」、カナダ開拓の心ともいえるセントローレンス河が大西洋に流れ出るのを見にいく旅だったのです。

 道は河に沿って緩やかにカーブしながら、低い山が連なる方にだんだん向かっています。Edmundstonという名前の、とりたてて特徴もない地方都市があらわれました。道路工事をやっていて、ほこりっぽい。ちょうど正午です。ここでお昼にする? いやいや、ケベック州に入るまで、もうちょっとだ。一歩でもケベックに入ってからにしよう。

 道は長い上り坂となり、山の中に入っていきます。ちょうど坂道を上がりきったところに、フランス語で「ケベック州へようこそ」の看板が出ていました。道路標識が NorthからNordに変わり、突然すべてフランス語の世界となります。ケベック州に入ったぞ。道路脇に現われた一番最初のレストランに飛び込みました。モーテル兼営の小さな所でしたが、サンドウィッチですら、やっぱりケベックはおいしい。

 昼飯を終えて、ハイウェイをさらに北にたどります。相変わらず山がちの景色ですが、だんだん下り坂が多くなる。やがて平地に出てしばらくすると、向こうに海が見えました。いや、海ではない。セントローレンス河です。この旅行の2日目にトランスカナダ・ハイウェイを離れてガスペに向かったところに戻ってきたのです。一週間がかりで、ガスペ半島を一周し、ニューブランスビック州とP.E.I.州を回って来ました。9日前にトロントを出発してから、四千二百キロ走っています。

 セントローレンス河に出てからケベックシティまでは、2日目に友人のコテッジに向かった道を逆にたどります。まっすぐで、河も見えず、遠いところに丘が見える景色が延々続く、退屈な道。ケベックシティまであと100キロ、70キロ、50キロ、、、車の燃料計を見て、ガソリンがなくなりかけているのに気が付きました。針がEの下を指しています。これはケベックシティまでもちそうにない。そう言えば、フレデリクトンに入る手前で給油したのが最後だったな。
 ところがなかなか、スタンドが現われません。それどころか、出口も現われない。こんな所で止まったら、救援を呼ぼうとしてもフランス語でなければ通じないだろう。参ったな。おっ、向こうにUltimarっていう看板が見えてる。助かった。でも、近づくとなんかパイプや煙突がたくさん見えています。なんだ、精油プラントじゃないか。セントローレンス河をタンカーでさかのぼって、ここで精製してモントリオールやトロントに運ぶんだな。でも、これじゃガソリンは買えないね。真剣に心配になった所で、ようやく出口が現われました。イチかバチかで一般道に下りて、なんとなく街のありそうな方向、右手の坂道を下ります。
 交差点が見えてきて、あったあ! あんまり聞いたことのない会社のガソリンスタンドだけど、まあ、いい。飛び込むように車を入れて、お兄さんに満タンにしてもらうと,58.8リットルでした。あと1リットルちょっとでからっぽになるところでした。ほっとしてあたりを見回すと、すぐ向こうにセントローレンス河、その向こうの丘の上に、シャトーフロンティナックがそびえたっていました。

 さて、ケベックシティの街へと入っていきます。ここは既に出張で何度も来ているんで、どこに何があるかだいだいの見当はつく。河にかかる鉄橋を渡って、坂道を上がり、シャトーフロンティナックを目差せば、、、、一方通行でした。ホテルを横目で見ながら、再び坂を下ります。河沿いの通りに戻って、もう一つ向こうの道路を上がって、、、結果は同じ。昔の城塞都市で、道が入り組んでいる上に、狭くて一方通行だらけ。結局、かなり離れた所、アブラハムの古戦場の近くから上がってきて、州議会議事堂の脇を通り、レストランやみやげもの屋の並ぶ通りを通って、やっとシャトーフロンティナックの駐車場に入りました。

 ケベックシティはご存じ、城壁に囲まれた中に、18世紀半ばにフランス系住民が作った都市がほぼそのまま、生きています。ホテルにチェックインして、Rue St.Louisを州議事堂の方に向かって散歩すると、まだ夕方5時前なのに、もうレストランに客が入りはじめている。通りもアメリカ人らしき団体さんで賑わっています。夏なので、観光客は軽井沢のように多い。日本人らしき姿も見かけます。

 表通りも良いですが、この街の楽しみは、なかなか趣のある路地に入り込むことです。例えば、観光客の多い Rue St.Louis から、城壁のすぐ内側を入っていく路地は、まるでパリの下町にでもありそうな(と言っても行ったこと、ないですが)古風なアパートがあって、その中の生活を想像するだけで楽しい。ここを抜けて行くと、小さな教会を見つけたりします。

 ケベックの連中は、北米の強大な英語文化に取り囲まれているだけに、固有のフランス文化を守ることに本当に真剣です。見ようによってはアメリカのどこかの都市のような部分も多くなってしまったモントリオールに比べて、ケベックシティは、フレンチカナディアンの文化をそのまま具現している街でしょう。州政府の建物も、議事堂も、堂々たる歴史的建造物です。

 街並は文化の大切な要素ですが、料理も忘れてはいけない。 階段を降りて、京都の三年坂みたいなPeti-Champlainに面している、シーフードの店に入りました。この街は何を食べてもあまり失敗がありません。こんな観光客向けの店でも、結構うまい。そうそう、クレープ屋でおいしい所もあります。

 一休みして、ホテルのプールに娘を連れて行きました。数年前、ホテルが100周年で改装された時に出来た新しいプールです。屋上に出れるようになっていて、夕焼けにケベックシティの街並の屋根が黒く、浮かびます。

 もう日が暮れてから、Terrasse Dufferin に散歩に出ます。ホテルの前の広場には、大道芸人が出ている。大変な人だかりです。
 セントローレンス河沿いのテラスを歩きます。河をフェリーが渡って行くのが見える。小型の貨物船が、ゆっくり上流に向かっています。
 最初にフランス人が、新大陸をめざして大西洋を渡り、この河をさかのぼってここまでやってきました。それからイギリス人が、この河を超えて北上してきた、、、カナダの歴史はそんなに古くはありませんが、ゆったりと流れるセントローレンス河をタテ糸として、フランス系の文化、イギリス系の文化が織り混ざっています。オンタリオ、ケベック、ニューブランズビック、そして今だイギリスの植民地のようなP.E.I.。さらに、幻の国、アカディア。 その歴史を、雄大な美しい自然がつつんでいる。

 明日はトロントまで750キロの道のりを、ただひたすら走ります。この旅は、全部走り切ってちょうど5000キロでした。カナダを見に行く旅、その歴史を、人々を、文化を見に行く旅でした。ガスペ半島という、ケベック州でも隔絶された所を走りましたし、大海原のようなセントローレンス河、湾のクジラ、ペルセの岩、P.E.I.の夕焼けを見ました。
 私はカナダを見たのか? すべてではない。でも、今回、車で走った所は「見たよ」と言えるでしょう。「カナダを見た。」 単なる知識や、話としてではなく、実際にそこで生活する人、生きている文化を。

 さて、この旅の話はこれでおしまいです。
この後、私は会う人、会う人にこの5000キロ大旅行の話をするようになりました。カナダを見たよ、って。
 でも,ガスペなんて場所も知らない人がほとんどですし、P.E.I. も赤毛のアンしか知らない。「それで、どこかでゴルフはされたんですか。」なんて聞かれてがっかりさせられたりします。
 ホンダアコードは、まだ健在です。今でもボンネットを上げる度に、、、中に赤土が付いているので、、、この旅行を思い出します。この車を買った時、カナダに来てから2か月目には、私と私の家族がこの国とこんなに付き合うとは、思いもしませんでした。

 日本人に対するカナダのイメージ,森と湖と、カナディアンロッキー。メープルシロップ。それは決して誤りではありませんが,国土面積が日本の25倍もあるこの国の自然も,文化も,日本で想像する以上に多様性に富んでいます。

 どうぞ,カナダを見に,いらしてください。

                            (終わり)


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